C18 Fe7 N18

仕草に愛 きみは美しい 見た目以上にその全てが

無題

雑記。

弱音を吐かない、裏側を見せない、常に笑顔でいる姿勢はアイドル故のプロ意識からくるものだと、今までは無理矢理納得してきたけど、やっぱり核心が分からないままなのは怖い。
脱退した理由を教えて貰えなかった。これからどうなってしまうのか、彼らがどこへ進んでいきたいのかわからないままに、次のライブが決まってしまった。そのライブがやっつけ仕事ではないのか思ってしまうほどハードなものだった。
彼ららしいと笑いながらも、どこかで着いていけない、ちょっと待って、落ち着いて、という気持ちを持っていたし、隠しきれなかった。
永遠などないと知ってしまった今の私たちにとって、一寸先が闇の状態でそれでも歩き続けるには、疑惑の心が大きくなりすぎてしまっていた。
そんな不安感を誰もが抱いてたと思う。

彼らがファンに寄り添って愛してくれるのは本当に嬉しいことだけど、ファンがそれに甘えて好き勝手言っていいわけでは勿論ない。オタクの不安感をいたずらに押し付けて彼らを責めるのも違う。

ファンとは元々曖昧な存在で、応援するしないを決めるのは個人の自由だし、なにをもってファンとするかという定義ももちろんない。彼らに対して消費活動を行わなくても、本人がファンと言い張れば彼らは丸ごと愛してくれてしまう。
ファンと一括りにするのは簡単だけども、実際は異なる意見を持った個人の集まりでしかないわけで。
束になれば出来ることはあるけど、基本的にファン個人の力では大きな仕事に起用できるわけでも、売上を伸ばすことができる訳でもなく。良い言葉を届けることが出来る訳でもない。悪い言葉が届かないよう守れる訳でもない。世間の評判を改善出来るわけでも、与えられた以上の言葉を求められるわけでも、彼等の夢を定められるわけでも、ない。
ファンは基本与えられたことを享受すること以外なにもできない。彼らに何も与えられないし、求められもしない。
その無力感が、私たちの苛立ちの原因だったと思う。


これは全部、本当に誰が悪い訳でもない。残ったメンバーはもちろん、辞めていった2人も当たり前に悪くない。彼らはアイドルである前に1人の人間だから、彼らにも自分の仕事は自分で選ぶという社会人としての権利がある。今現在2人とも責任をもってきちんとやりたかったことをしているわけだから、なにも咎められることなんてない。残されたメンバーに迷惑をかけてるなんてのも違う。確かに彼らはアイドルだから、代わりになる人なんてひとりも居ないところは少し社会と違っているかもしれないけど、どんな仕事でも人が抜けたら穴は空くわけで、そこを恐れていたら世界中の誰も転職なんてできない。「お前が辞めたらどれだけの人に迷惑がかかると思ってるんだ」と言って退職を阻止する会社なんて今時ナンセンスだって、誰でも分かると思う。
辞めた2人に不信感があるのなら、それは私たちの我儘でしかない。不安や苛立ちを誰かを責めることで解消するなんて幼稚だってことは、私たちは大人だから知ってしまってる。



疑問は解決せず、行く先も見えず、為す術もなく、誰も責められず、好きな人がいるこの場所から動きたくも逃げたくも見失いたくもなく、どこにも行く場所がなかった。
これが、すばるくんが辞めると言ってから亮ちゃんがひとりでツアーを回るまでの期間の、色々な不安や焦燥の原因だったと思う。





でもいまは違う。
すばるくんのやりたいことはアルバムとして形になり、ツアーも決まり、言葉も毎回尽くしてくれている。亮ちゃんがなんで辞めたのかもパンフレットで文章にして届けてくれたし、彼もツアーを回って、彼のエンターテイメントがどういうものなのか証明をしてくれている。
関ジャニ∞はそれぞれどのように今までの歴史を捉えていて、辞めたひとやメンバーを失ったことに対してどう思っていて、この先どうなりたいのか、なにをやりたいのかも、ひとりひとり、概ね言葉にしてくれた。

やることが決まったオタクは水を得た魚です。応援してくれと言われたから、応援できる。力を貸してくれと言われたから、CDを買ったり、ハッシュタグをつけて呟いたりできる。まだ大きなステージに立ちたいと言ってくれたから、同じ夢を見ることができる。メンバーが関ジャニを好きと言ってくれたから、私達も関ジャニを好きでいることが出来る。



本人達とファンを同列に並べるのは個人的にはとても烏滸がましいと思ってるけど、誤解を恐れずにいうなら、
彼と、彼と、彼らと、ファンと。全員にとってあまりに大きすぎる出来事で、全員が処理するのに時間がかかってしまった。そのせいで言葉の過不足があったり、色々なタイミングが前後してしまったり、だからこそ その間にお互い不安感を与えたし焦らせたし苛立たせた。
だけど、それぞれがやるべき事をやったり、時間の流れの中で少しづつ整理して飲み込んでいって、やっとここまで来れたんだなあと思う。



だからといって寂しい気持ちや懐かしい気持ちは全く消えてくれない。くらすますには「振り返るのはもう十分」とあったけど、その言葉からはこそこそ隠れながら、勝手に思い出して悲しんだり悔しんだりするんだろうなあと思う。そういうことも個人個人が自分のペースで咀嚼して行ければいいのかなと、今やっと思えました。


2019/11/25